<ソロモンの風、日本の神刀>


終戦から六十年、その暦が還る年に日の丸を1機、と来ると、やはり零戦になってしまうんですね。というわけでソロモンはブイン、「い号」作戦時の隼鷹戦闘機隊、その応急迷彩姿をば、例によって謎の考察(しかも今回は民俗学風味?)などたれながしつつ。(^^;

緒戦の圧倒的航空優勢の立役者、零戦。手熟れの操縦士達に駆られて広大な戦域をその空戦能力でことごとく覆いながらも、悪夢のミッドウェイ以後戦況は次第に押され気味。敵味方がっぷり組みあった形でのソロモン航空戦は、機体の応急迷彩にも苦闘の影がさしてみえ、やがて孔雀が墜とされるという凶報までもが待っているのでした。

*刀ありき

でもって唐突にカタナの話など。(^^;  むろん私は素人ですので(汗)、皆さま各自キイワアドなどを頼りに検索されたほうが、より確かな情報に接するとは思いますが、しばしヨタ話におつきあいください。そも「武士の魂」たる日本刀(=刀および太刀。「刀」「太刀」「剣」の別なども置いておきます)、その源流を辿りますと、本邦の場合は三種の神器のひとつ、草薙剣(=天叢雲剣)が原点におわしますな。壇ノ浦で滅びゆく平家一門、二位尼御前とともに海中に没せしとも、あるいはそれは形代にして、今に残る剣こそ神剣そのものとの説も。ここに、くにの成立時点からしてすでに神霊宿る聖なる剣が存在していたわけです。

もちろんその辺りも、青銅にまさる鉄の武威の象徴として、制覇を成し遂げたもののアイコンとしての剣だったんでしょうが、さらに言えば、ここに鏡と勾玉、そして剣という器物をして崇拝の形代としているわけですね。これが1つのポイント。

*古刀の輝き

で、少し話がとびますが、最初にも書いた日本刀。ひとくちに日本刀と言いましても、どうも慶長期以前の「古刀」と、以降の「新刀」があるようで。新刀のほうは量産玉鋼@たたら製鉄方面由来で、比較的数があるんですが、古刀が問題。なんと、今に至るもその鉄の由来も製造法も、完全には解明されていないとか(驚)。鉄の刃を鋭くすれば脆くなり、頑丈にすれば鈍くなるのは道理、ところが、この古刀の中にはどうやら極めて鋭くしかも強靱な、凄まじいワザモノがあるらしく。新刀は戦国時代の実戦を経て、乱暴に言えば戦場での荒っぽい戦闘行動に耐える量産品としての姿なわけですが、古刀はいわゆるワンオフ的なもので、その中には時に神懸かりみたいな逸品が混ざってる模様。なぜそうなるのか、そこが興味深いんですけれども、なにしろ解明されてませんから。(^◇^;)

ただ、量産じゃなくその場限りの品というのは、ほんの些細な偶然が運命を左右する度合いが大きいんじゃないかと。製鉄関連方面で崇められる嫉妬深い女神・金屋子神さま、彼女のめがねにかなったひと振りの刀だったのか、あるいは女神さまのきまぐれか、いずれにせよそんな神霊宿るような「伝説の名刀」が、たしかにあったとも。大陸系民族がこの完成された日本刀による斬撃のさまに驚き、その後の武器に対しかなりの影響も受けたといった逸話はさておき。

*「菊一文字」

そこでさらに話はすっとんで幕末。(^^; 京の都の辻々を血に染めて駆け抜けた新選組と言えばお馴染み、その中でも抜群の剣技で知られた沖田総司、彼の刀として伝説になってるのが古刀「菊一文字」。後鳥羽上皇に由来する菊御紋をいただいたその刀は、いくら沖田くんでも入手不可だろうとの一般論もありこそすれ、彼の実姉が残した記録に、実際に「菊一文字」を弟の死後、某神社に納めたなどとの話もある由。そのあたり、司馬遼太郎先生は短編の中で巧みな設定により沖田くんに菊一文字を持たせて書いてみえるわけですが。戦国期の野太刀みたいな実用品的無粋さはなく、やや細身で際立つ鋭い古刀こそ、薄命の剣士には相応しくもあり。(タイトル画像に使ったのは、この菊一文字の模造刀ですわ。真剣にあらず〜)

もちろん零戦というのは近代的工業製品であり、なおかつ実用量産兵器ではあるのですけれど、どこかしらそんな古刀の趣も。西洋的大剣と違って日本刀は両手使いで楯を用いない、攻撃と防御をその刀身ひとつで兼用する闘いかたも、この機体が戦塵にまみれて舞った姿にとてもよく似ているような。

*英雄ありき

さて、沖田総司もそうですが、若くして武の天才を発揮し、水際立った勝利をおさめて後、奮戦空しく露と消える、その手のヒーロー、英雄譚というのがまた日本人好みでして。その代表格と言えるひとりが源義経。かの青年も、実に天才と思しき戦術家であり、実戦でその能力を鮮やかに証明していながら、不幸な結末に消えていった「英雄」。さらにスケールを大きくした類似例が、大陸の漢王朝にもあって大漢驃騎将軍・霍去病の名は今も輝いておりますが、それはさておき。

この「判官びいき」には、たぶんに後世の尾ひれや脚色も加わってのこととはいえ、それなりにまず1)若くして圧倒的な才能をみせ、かくかくたる戦果をあげる。  そして2)その戦果にみあわない不遇の末、哀しい末路を辿る。 の2点がまず共通。さらによくみますと、実は3)周囲が見えていない、武の天才であっても世情にうとい、もしくは先見の明なし(汗)。 なんですね。奇襲、勝つための戦術を見事に具現する義経、刀を持たせれば天下無双の総司。でも鎌倉の政治は青年将軍を必要とせず、維新の波は病身剣士を押し流してしまいます。さらに4)として「英雄は死なず」伝説の要素もあるのですが、そこはそれ。

*ジュラルミンの英雄、翼ある神刀

世界各国それぞれに、さまざまな英雄譚があり、ヒーロー、ヒロインがその歴史を彩りますが、実は本邦において、実に稀な例、機械の英雄がいた(あった)んじゃないかと。そもそも本項はじめのほうで神霊宿る草薙剣の例をあげましたが、古来器物に神霊、魂が宿るとの感覚をこのくにの人々は持ち続けて来たんですね。器物百年を経て怪をなす付喪神もそうですし、それこそ「武士の魂」=刀であるわけで。ヒトよりも人間らしい21世紀の鉄腕ロボット(=機械)少年の物語が生まれたのも、人工知能に「ゴースト(魂に近い概念?)」が宿るSF物語世界が形作られたのも、そして現実社会でヒト型ロボットの開発が世界をリードしているのも、偶然ではなかろうと思うのです。こんな無生物にさえも神や魂がおわす、その多神教的思考がものを大切にしたり、自然を畏れ敬う心のもとになってたんでしょうが、これもおいといて。

してみると、この機体、零戦というひとつの機械は、先の英雄譚の条件を満たしてはいますまいか。女神さまの気まぐれとも思える武器としての斬れ味を持って生まれ、1)パーフェクトゲームとも言える大陸でのデビュー戦、その後活躍の場を西はインド洋から東はハワイの空まで広げ、縦横にその無双な強力さを発揮しながら(隔絶の武功)、2)やがて満身創痍になるまで闘い続けて散っていく(勝利と対照的な哀しい末路)、その姿にとても特別な何かを感じる人々が多くいるのではないかしらと。零戦とは、まさに霊戦だったのかも、などとふと思う夜更け。

3)に関しては発動機強化や乗員保護のための仕様も見方によってはあてはまりましょうし(時代の流れ、波にはのれない)、4)でこの機体を「死なず」にするため、生き返らせるための伝説が、「烈風」へつながっているとも読めなくもないですし。

遠い異国に生まれた同類、かのスピットファイアがその名声をあげたのは本土防衛のための航空戦。それに対し、我が零戦は攻撃の切っ先として送り込まれたのが大きな運命の分かれ目でもありましょうか。それでもなお、チャーチル首相をして「かくも少数の」と讚えさせたのは機体ではなくその操縦士たち。それに対し、器物それ自体に魂をみる本邦は、菊花紋付き歩兵銃の例をひくまでもなく、器物そのものに寄せる思いがいろんな意味で深くてですね(涙)。その意味で、前回の零戦で引用した

『日本にとっての零戦は、英国にとってのスピットファイアであった。それは日本の戦争の運命を象徴していた。その戦闘機が優勢なときは日本の国民もまた幸福であった』──William Green

『日本にとっての零戦は、英国にとってのスピットファイアどころではなく、重要そのものであった。(中略)もし一国が戦争計画の基礎を一種類だけの武器におくことがあるとすれば、日本が零戦に依存したことは、その第一の例であるに違いない』──Martin Caidin

特に後の文章はまさに、そのとおりなんですね。ある見方をすればスピットファイアどころじゃない、それどころかこの機種は単なる戦闘機ではなかったんじゃないでしょうか。

かくして、他国に類をみない無生物@ジュラルミンの英雄にしてかつ神刀でもある零戦の伝説が生まれたかなと。こんな風に哀しみをにじませた機体への深い思いってぇのは、たぶんよその国、違う文化の方々にはわからない部分があるんじゃないかしら。でも最後に書いておきたいのは、本項発端で書いた草薙剣、その名は火攻めに対し草をなぎ払って持ち主を護持した、さらにその剣を持たずに出かけた持ち主が落命するという、本来は攻撃よりも護持、防御のための神器じゃなかったのかなぁ、沖田くんの新選組も薩長側からみればこそ凶刃ですが、時の為政者たる幕府公認の都城市警護武装警察=本来は守護の刀であったろう、嗚呼哀しい哉やんぬる哉、ということで。そういえば、この日本人にとって特別な機体が産み出されたのは、草薙剣を祀る熱田神宮の地元・名古屋でもあったんですね。

英雄が本来ひとりの人間であり誰もと同じように生きていたのと同じく、零戦も単に戦闘機の1機種であるわけですが、見る角度により、そして知るひとにとってそれはやはり特別な「伝説」の対象であり続けるわけでしょう。その特別な機体が飛んでいた時代、闘った空、そしてその機体に関わった全ての人々への思いが枯れない伝説を形作っているのだろうと。伝説じゃなく実態を知ることも大切なのは言うまでもないのですが。

あまりにヨタ話が突っ走ったので(汗)、キット関連の話がなおざりです。orz

え〜、ものはハセガワ社製1/48、お馴染みのキット@零戦二一型。これをブインの応急迷彩機にしようというのが発端。追加工作は毎度フツーの要領で(要領悪く)ディテールアップ、カウルフラップを少し開き(そこから見える内部に発動機架の一部を気持ちだけ工作)、尾翼舵面を両方とも少し動かして固定。スピナは大きめのほうの中島生産機スタイル。

操縦士は既存のフィギュアを切った貼ったして削って塗って意味不明に(涙)。右腿には長距離洋上進出に向けての飛行チャートボードも付けたんですが見えてませんから(汗)、南太平洋の風になびく白い襟巻き(プラペーパー)だけ見てください〜。(^^; 右手の握りこぶしになんらかの決意を表現しているよーないないよーな。←わかんねーよ、そんなの

機体の塗りが本題なんですが、最初はもっと地色のグレー系を表面に出すつもりだったんですね。ところが濃緑の網目と地色との組み合わせで、海軍機じゃなく陸軍機みたいになっちゃいまして。(^◇^;) それで濃緑をオーバースプレーした後にコンパウンドで磨くなどして調整、当初予定よりかなり「緑」な姿になっております。日の丸やフラップ部分主翼上面の赤いラインは塗装で。機番と「ナルノ」の文字などはペガサス卿より拝領の特注インレタでございますよ。m(_ _)m謝

なお今回の地色は応急迷彩の緑(後の黒緑色より明るい)との相性もあって、明灰白色じゃなく明灰緑色をベースに、英ダックエッググリーンで化粧しています。緑はクレオス15番や自己調色のもので計4色、カウリングはカウル色に米空軍サンダーバーズ用ブルーで化粧、さらにクリアレッドとクリアブルーを適宜かけて焼き付け塗装みたいな雰囲気を醸し出して(笑)から磨いてますが、画像ではそんな色調はぜんぜん見えてませんね。(^^;

↑塗るのが好きなのでくだくだ書いてますが、要するに好きなよーに適当にやってるだけですな。一定の手順も再現性もまるでナッシング。orz

反省事項;工作や塗装が雑なのは仕様@性格なのでしかたないとして(汗)、襟巻きやカウルフラップ、舵面などはもっと強調してもヨカッタですな。そーゆー部分を思いきれないのが凡人たる由縁。ヽ(゚∀。;)ノ

*応急迷彩パターンは実機ではバリエーション豊富で実に興味深いんですが、本機の場合はもっと「疎」かと思います(汗)。ま、写真の不鮮明さをいいことに。(^^;  主翼日の丸は「縁」(塗り残し)が無い可能性あり、また主翼上面の胴体近く(搭乗員や地上員が踏むあたり。ひょっとしてフラップ部の赤いライン部も?)は迷彩かかってない可能性あり、主脚カバーとカウル下の機番は記入の有無が未確認です。増槽は、当時の写真によれば基部と胴体下面とに隙間があいちゃってても可。主翼前縁識別帯@橙黄色は、たぶん塗ってあるかと推察。母艦から一時的に降りてきてる機体でもあり、着艦フックはもちろん装備。尾翼機番下に赤い線の入った「小隊長機」との説あり。個人的には小隊長じゃなく戦闘機隊の隊長機そのものじゃないかしらと疑ってはいるのですが、根拠薄弱すぎて書けません。(^◇^;)

今回製作中に隼鷹戦闘機隊員の御遺族にあたられる方からメールをいただきました。やはり零戦は特別な機体であろうかと思います。母艦から飛び立ったきり南の海と空に消えてしまった方々に、なにかしらお伝えできたら良いのですが。


<参考文献> 以前のリストと重複そのものですが。(^^;

比較的まとまりのよい資料。

(2005年10月11日初出)



SEO対策 ショッピングカート レンタルサーバー /テキスト広告 アクセス解析 無料ホームページ ライブチャット ブログ