──今年も暑くなりましたねぇ。よっこらしょ。御機嫌いかが? あなたは暑いのが苦手じゃなかったわよね、うらやましい。あの夏も暑かったっけ。さあ、みんなこっちですよ。

──さて掃除もできたし、お花はこれでいいかしら。大きな鬼灯、きれいでしょ。お日様の色、すてきじゃないの。わたし、夏になるたびにこの鬼灯の色を見てると、今でもあの飛行機のことを思いだすんですよ。あなたが担当してたあれ、絵に描いたような流線型で、ほんとうに見事な姿だったわよね。『えむろく』って言ってたかしら。

──朝陽の中、水しぶきを上げて飛び立っていく姿も良かったけれど、ほら、帰ってきて着水の前にぐるっと周回するじゃない? その時に、どうかすると夕陽の中からあの飛行機が飛びだしてくるような瞬間があったのよ。今でも目に浮かびます。そりゃぁきれいでした。

──あんな飛行機を作れるんだから、まだ敗けない、まだ大丈夫だって思ってたわ。ええ、無邪気でしたねぇ。もう地震と空襲とで、工場がちっともまっとうに動いてなかったのにね。こどもでした。そんなだから、一度でいいからあれに乗って夏の空と海へ飛びだしてみたかった。わたしがいつもあんまりあの飛行機を見つめてるもんだから、あなたこっそり後ろの席に座らせてくれたわよね。中佐にみつかったら「軍属の小娘ごときを」って、酷く怒られたんじゃないの? あの時、見上げるように高いところによじ登らなくちゃいけなくって吃驚しましたっけ。あわてて足を踏み外しそうになったり、今思うと危なかったかしら。若かったのよ。食べ物が無かったから、からだも軽かったしね。え? 今はって、あらいやだ。

──食べ物といえば、孫たちにひとこと言ってやってくださいな。あの子たち、どうかすると平気でご飯やおかずを残すんですよ。たしかにもう「米は字をみればわかるように八十八回の手間暇かけて稲を育てて」とか言う時代じゃないでしょうけど、やっぱり、なんだかねぇ。そんなに豊かになったのかしら。あの頃、食べ物には不自由しましたけれど、それでも私たちは海軍さんのお流れで少しマシだったんですよね。たまにサイダーも飲めたし。でもお砂糖が足りなかったから、甘くはなかったわよね。牛肉の大和煮の缶詰もよく覚えてるわ。あれだってとっておきの貴重品だったんでしょ。あなたが自分の分を廻してくれたって、わたし知ってたのよ。涙がでそうになるくらい、おいしかった。缶詰ひとつでも、心底大切な時代だったわね。あの時も、その後も、一日一日、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで過ごしましたねぇ。生き残りはしたけれど、ほんとうに。

──そろそろお線香も消えるし、行きますね。また来ますから。でもまさか自分たちの息子がシアトルのあの会社と仕事をするようになるなんて、夢にも思わなかったわよね。こっちの会社と共同で生産するんですって。ええ、忙しくしてますよ。そりゃぁ新型は随分と大きくてたいした機体みたいですけど、わたしはあの夏に見た流線型の水上機がいっとう好きな飛行機なの。昔も今もね。もうしばらくして、私もそっちへ行ったら、今度こそ一緒に乗せてくださいな。ずっと遠くの海まで飛ばせてみせて。連れてってくれるの、楽しみにしてるわよ。それじゃね。さあ、あなたたち、お爺ちゃんにまた来ますってご挨拶なさいな。

── ああ、百日紅の向こうに、あんなに大きな入道雲が。あなたにも見えてるわね、きっと今日も空の上から──

蛇の足; *ほおずき、鬼灯、酸漿。お盆の仏花にもよく添えられ、魔除けでもあり。   *晴嵐の故郷、愛知航空機永徳工場は、空襲の他に震災で相当な被害があった模様。隣接する水上機発着場は、庄内川河口付近だったとか。  *ボーイングの本社は現在ではシアトルからシカゴへ移ってる模様。



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