ミッドウェイ三部作のシメは、当然のごとく当日の主役であるSBDで行こうと。んが、さすがに日の丸な心のワタクシでありますので、あの戦果をあげられた機体を机上に再現するのはどうにもなにがしかの心理的抵抗がありますな。およそ本邦の展示会でB-29の姿が非常に稀であるのにも似たり。というわけであれこれ悩みましたらば、当日の機体の中に爆弾を抱えず突込んだのが4機ほどいると。そのうちの隊長機を選んでの作戦行動開始となった次第。

↑発進準備よーそろ〜、フライトデッキへ向かうエレベーター上の設定。(←いちいち説明が必要な時点で敗け)  自作する器用さは無いので既製品を流用した機付長@茶シャツの左手は人差指じゃなくサムアップなんですが、ちょっとわかりにくい(汗)。ま、こんなイメージが当初からの目論見にして課題ですた。こんなシーンですと通常はもっと機体周囲に人員が居るんでけれど、あとの2機とのバランスもあって2人のみ。最初のTBDが乗員2名、F4Fで乗員と甲板員各1名ずつ、そしてこのSBDで機付き2名と、これもバランスを考慮。赤シャツ@たぶん兵装員は肩に予備の?弾帯、腰に当時の写真で時折みる幅広の帯(腰の保護用?)。

さて実機ですが、今回のマーキングは本来サラトガ搭載のVB-3隊、その隊長機。サラトガは雷撃されたりほにゃらららで、結構損傷修理中の時期もありまして、艦も飛行隊もギリギリでやってた時期の米海軍としては、母艦が使えずとも飛行隊は飛べるなら他母艦で使うぞ、しかもヨークタウンは珊瑚海で被害でてるので、沈んだレキシントン隊の残りも合わせて再編搭載すべしという次第。ちなみにこのVB-3隊長のレスリー少佐はドゥーリットル隊のトウキョウ空襲作戦時にもエンタープライズ搭載で援護してた由(戦後は少将まで昇進して退役。先にやったF4Fのサッチさんは大将まで行きましたが)。1902年10月のお生まれなんで、海戦当時は39歳。飛行経歴でいうと、ウイングマーク取得のペンサコラとかで既にTBD記事に登場したウォルドロンさんとも知己であるかも。ミッドウェイの戦功で海軍十字章。後席のギャラガー通信兵は情報不足でわからないんですが、後に同姓同名で海軍十字章をもらってる士官がおりまして。通信兵から戦時訓練を経て士官にというのも考えられなくはないですが、微妙なところ。(ちなみにその同姓同名?受章氏はサマール島沖での日本艦隊攻撃中に行方不明となってから。彼はあのガンビアベイの混成飛行隊乗員だったのでした。)

さておき。で、ミッドウェー時ではホーネット隊みたいに敵に遭遇せずとかの不都合もなく順調に攻撃に入ろうとするヨークタウンSBD隊なわけですが、1000lb爆弾の安全装置を解除したところ何故か爆弾が勝手に落ちてしまうという事態に(汗)。しかも隊のうち隊長機を含めて4機も爆弾を喪失。後からの話では、どうやら「安全解除」と「投下」の配線を間違えたんだろうという始末。急降下爆撃機が主武装の爆弾を失ったんで、そこで離脱帰艦しても仕方なしという所と思いますが、この隊長さんは次席に指揮を任せて帰ったりしないんすな。そのまま編隊を率いて降下突撃をかけちゃう。機首の50口径は撃ちっぱなしで突込んだということで。厳密にいうと微妙なんでしょうが、もしかしてこのヨークタウン/レスリー隊の突入・爆撃が(たぶん目標は蒼龍)、あのエンタープライズSBD隊よりも少し早いかも。

今回の3機企画でウォルドロン/サッチ/レスリーの3隊長をみてきて、アメリカ側は各飛行隊の長がいずれもアラフォー世代、対する日本側はアラサーだと思いますが、そこらでそれぞれの決断なり行動なり考えてみるのも深さがでそうではありますね。どなたか? ←おい

↑全景。縦横各平行な構成が嫌いなのと、できるだけ小ぢんまりと(笑)仕立てたいのでこんな姿に。土台のコルクベースから少し浮かせてセットしないとエレベーターだとわからない時点でこれまた敗け。orz 無理やり脇に立てた構造材でもそれを補助しようとした辺り、さらに垢抜けない説明をしててさらに敗け。orz orz

アキュさん1/48 ドーントレス、ちまたではいわゆる「決定版」との声も高いキットですが、そうは問屋がおろさないというのがマニア的知恵の悲しみ(涙)。チェックポイントとしましては、カウル形状に違和感。H社キットほどではないものの、まだ実機より丸く無い。実機ではキットよりも後ろからカウルの絞り込み曲面がはじまっているので削って妥協できるところまでやってみる。まだ少し不足気味(汗)。  そのカウル上面、機銃前方と凸型インテイクが別部品。なぜか入ってなかったので(汗)、エイヤッと自作。orz 右エルロンのタブが不要。 逆に後部胴体でくびれる辺りの下側面に2つ並んであるパネルはたぶん右舷のみ。 主翼エルロン前縁ラインが、そのままエアブレーキ前縁ラインとつながってるのがアウト(危うく見逃すところに天の声あり。御礼)。段差があるのでエルロンラインを修正。  主翼から胴体後部への絞り込みがほんの少しきつすぎる感じ。手をつけず。(^◇^;  カウル後ろの胴体左右に溝状エアアウトレット、モールド部を開口。要工夫。←泥縄作業でミス(汗) エアブレーキ上面は左右とも幅が不足。微妙に端っこでつぎ足し。  キャノピー、閉状態の一体部品と開状態分割部品あり。開にすると作例のごとく、多少削ってもかなり不自然(特に後部)。できれば絞ったもののほうが吉。  そのキャノピー後端部や主翼の内翼と外翼の接合部カバー、主輪収納部等におそらく黒いラバーのシーリング材があるので適宜。着艦フックの鈎があたる機体尾部下面にもたぶんラバーの緩衝材(振動除けだそうな)。 最前部の風防部は、パイロットの目の前に上縁からコンパスが下ってるので追加。 後席機銃はミッドウェイ時期なら連装。たぶん本来は単装装備の機体にあとから連装を積んでるので、それなりに収納部やら弾倉やらあれこれ辻褄合わせが必要。機銃本体も追加工作したほうが主張してヨロシ。 主脚カバー、キットのまま組んでしまうとカバーが脚柱より前にずれてる実機の姿にならない悪寒。適宜むりやりずらすが吉。 各動翼は羽布リブの表現が過剰なんで、凸を削ってそれらしく。 作例の場合はマーキングはあれこれ切り張り流用デカールで処理。主翼付け根の滑り止め帯と、エアブレーキとの間は後縁に赤いライン塗りあり。  フラップ/ダイブブレーキの孔、全部もう一周り径を大きくえぐってやると雰囲気が増すはず。ただしかなりプラの限界に近いインジェクション仕立てだと思うので、わたしゃ不器用ゆえの破損が怖くて(汗)できませんでした。(^^;

などなど、あとは現場合わせ多数の果てに形になります。リベットは無いキットなんで、武骨かつ特に内翼辺りは緻密なリベットも無数にある実機の雰囲気を出すには根気よく作業するが大吉。わたしゃリベットルーラーでぐだぐだに作業してしまいましたが(滅)、実機は凸が素敵。ポイントになるのは乗員部側面で斜めに走るやつと、内翼部にびっしり打たれた辺り。と、要するにこのキット、(言われてきたほどには)瑕疵のない「決定版」ではない感じ。幾つかの大きく「おや?(汗)」な個所は、かえってハセガワ製キットのほうが正確。あちらのカウルさえなんとかできれば、量産とかするんなら、という気が・・・。

追記; いちばん気になったカウル曲線の件、以前の英国系雑誌掲載図面で多少とも鼻がつぶれたような表現にもみえるものがあるようで。折角2社から相次いででた48キットが両方ともカウルに瑕疵がでちゃったのって、もしかするとそんな英国系図面が悪さしたかもしれません。

垂直尾翼に入る白線、マスキングを剥がしたら予定してたよりも角度が浅く寝過ぎてたのはナイショ。

例によって、以下のお話は全くのフィクションそのものなのですが。

「──とりわけ50年代半ば以降の日本自衛隊創建期において、航空機他米軍式装備の整備全般運用習得にあたり抜群の指導力と深大な知識を提供して援助されたことに対し、日本国海上自衛隊ならびに日本国政府よりあらためて最大級の感謝を捧げるとともに、この比類なき合衆国海軍退役上級准尉の御逝去にあたり心から哀悼の意を表するものであります。在ワシントン日本大使館付武官、日本海上自衛隊三佐──」

「──では次に戦友会を代表して合衆国海軍退役特務曹長──」

「──准尉、いややはりチーフと称ばせてください。チーフ、あの大戦中、我々にとってあなたは兄であり父であり、神ですらありました。右も左もわからない若造どもを叱咤し、あるいは励まし、何一つ満足に義務を果たせなかった我々を、単なる整備見習いからひとかどのエンジニアにまで手取り足取り辛抱強く育ててくださった。

誰もが自分の命だけを後生大事に優先する戦火の下で、常に我々部下ひとりひとりを心にかけてくれ、そして大戦争遂行中の大海軍の中で寄る辺無き我々の居場所を作って下さった。それぞれの母艦で、ハンガーデッキこそは我々の帰るべき家であり、その家の家長がチーフ、あなたでした。訓練だけではわからない、実戦の最中で複雑に絡み合う多くの事柄、ひとしずくのオイルや1個のネジが持つ重要な意味にはじまり、何トンもの翼が空を駆けることを支える任務の全てを、あなたから教わりました。ようやく読み書きができるようになった生意気なだけの小僧達が、あなたとの月日を経ることで一人前に義務を果たせる海軍整備兵になることができました。

なにかと難癖をつける甲板士官との間に入っていつも我々をかばってくれたこと、他の分隊より少しでも早く郵袋が届くよう常に手配してくれたこと、艦長査察にあたって必ず一言部下を褒めてくれたこと、今でも昨日のように思いだします。42年1月のサラトガで、そしてあの6月のヨークタウンで、そして45年5月のバンカーヒルで、オイルにまみれながら翌朝の出撃準備をした夜、無惨に大傾斜したデッキに流れる退艦命令の中で呆然とした夜明け、視界を完全にふさぐ大火災煙の中で全てをあきらめかけた朝、いつもそこにチーフ、あなたがいてくれた。もちろん戦争でしたから戦死した仲間もいるけれど、生き残った我々は皆がチーフのお陰だと思わなかったことはありません。そのあなたが逝ってしまわれた。これほどの寂寥がありましょうか。しかしながら、いまアナポリスで教鞭をとられている御長女、そしてMIT特待生からNASAへ進まれた御長男をみるにつけ、かつて我々を常に導いて下さったあなたの資質が未来へと継承されていくことに確信を持てます。それが実に喜ばしく頼もしいことでもあります。まだまだ困難な時代は続きましょうが、どうぞここアーリントンで見守っていてください──」

「──弔砲用意──構え、筒──」

──チーフ、もう何度も話しましたが、あの時の配線ミスは確かに我々新米3人の誰かがやったに違いないんです。他に触ったやつなんか居なかったんだから。肝心要の攻撃時に爆撃機が爆弾を抱えてなかったなんて、絶対にあってはならないことだし、重い処分があって当然だったでしょう。なのにあなたが「配線ミスだって証拠がどこにあります? 査問にかけるなら証拠を提示してもらわなきゃなりません。4機とも着水なり投棄なりで海の底ですぜ。さあ、どの機体を引き揚げますかね?」とあの法務官に迫ってくれたお陰で、軍法会議どころか査問会さえ無しで誰の軍歴にも傷がつかなかった。各自がチーフに1発ずつ派手な拳をもらいましたが、退役後の私が電気工事会社に過分の好条件で就職できたのだって──

↑この角度もかなりヨロシイ。SBD実機もエレベーター上でそうそう余裕があるわけではない機体サイズですが、例によっての謎なレイアウトなんで、翼端とか尾輪とかギリギリすぎ(汗)。脇の構造材の断面や裏とか、エレベーターの断面部とかは昔日のタミヤ社カタログでみたカッティングモデルの真似で赤く。←単純

↑赤シャツが腰に巻いてる幅広の帯、どうも明瞭な記載をみつけられないまま、腰の防護用(要するに重量物持ったり無理な体勢でちから入れてもギックリ行ってしまわない用心)と判断。ちなみにフィギュアは左手を膝にあてて少しかがんでますが、しゃがむ/立ち上がる等の姿勢変化時に膝へ手をあてるというのは腰の負担を減らすための常套手段。

↑フライトデッキ側から見てる視点に近い角度。車輪止め、黄色塗りと赤塗りがあるようで、他との兼ね合いで今回は赤系に。機付長を黄シャツで行こうかと最後まで迷ってて、それゆえ車輪止めは黄色を避けましたが、茶シャツにするなら黄色でもよかったす。やれやれ。(どうも黄シャツ系はフライトデッキ上での各担当の長っぽくて、格納庫から上がっていく段階では少し疑問があったので)

↑角度や撮り方によって、48スケールなのに全くそのスケール感を失うわフィギュアがオモチャっぽくなるわという1例(滅)。

結局整備ミスで爆弾を落してしまって日の丸母艦には100%あてていない、そんな機体を選んだあたりに我ながらある種の壁を感じてしまうところではあります(汗)。それでも実に魅力的ではある機体で、なるほど後のスカイレーダー、そしてスカイホークへと連なる血筋も濃厚にまとっている印象。使いやすく信頼性の高い、ムダの無い軍用機としてのエッセンスみたいなのをしっかり持って生まれてきた機種でしょうね〜。日本機でそのあたり似た機種というと、ちょっと無いかも。

ところで今回のマーキングに選んだレスリー機、この機体はどうやら我々日本人にもたぶん早くからお馴染みのはず。というのも、攻撃からの帰還時に燃料不足となり、僚機とともに着水してまして。乗員を収容したのは重巡アストリア。「ミッドウェイ海戦」を扱った記事中でよく、巡洋艦の航空設備越しに水しぶきあげて着水するSBDをとらえた写真が出てきますが、あれがたぶん6月4日1348時に着水したレスリー機そのものなんすな。で、その重巡はその後ヨークタウンを間近で看取り、さらにはソロモンの夜の海で・・というのはまた別のお話。

と、今回も御粗末様でした。おかげさまで、よーやくですがミッドウェイの3機企画が完成いたしました〜。やれやれ。m(_ _)m

<参考文献> (TBDとF4Fの記事で既にあげたミッドウェイ関連本などは省略)

1)SBD DAUNTLESS in action ;'84年、Squadron/signal publications刊、ISBN 0-89747-153-9
  ちと古い(汗)。が、基本参考書であり他にない写真もあったりで有用なことには変わりなし。
2)Walk Around SBD Dauntless  Walk Aroundシリーズ ;Squadron/signal publications刊、ISBN 0-89747-468-6
  このシリーズはクリアな現存機の画像も豊富でヨロシ。特に機体内部等、部品接着位置不明瞭な時にも有用。(^^;
3)SBD DAUNTLESS in Detail D&SシリーズVol.48 ;'96年、Squadron/signal publications刊、ISBN 1-888974-01-X
  表紙カラー写真が既にぐっとくるところ。試作機なんかの内部構造(当時の写真)で、位置関係がよくわからないなんつーのは当時の撮影者に責任が
  あるんであって。←参考しつつ不満はあるという厄介
4)DOUGLAS SBD DAUNTLESS イエローシリーズ ;'07年、Mushroom Model publications刊、ISBN 978-83-89450-39-5
  いわゆるキノコ本、マッシュルーム社のイエローシリーズ。各型別紹介に現存機まじえて画像も(やや少なめながら)+。
5)DOUGLAS SBD DAUNTLESS  MONOGRAPHS No.34 ;'07年、KAGERO社刊、ISBN 0-89747-347-7
  KAGERO社のモノグラフシリーズ。他にないクリアなよい写真も少数ながらあり。3面図やプロファイルも収録&デカール付でお得?
6)第二次大戦のSBDドーントレス部隊と戦歴;'03年、大日本絵画社刊、ISBN 4-499-22815-8
  オスプレイ軍用機シリーズの36。原書は'98年刊。ソフト面をつかむには、なかなかヨロシ。バレット・ティルマン著で訳は富成太郎氏。
7)MIDWAY DAUNTLESS VICTORY;'07年、Pen & Sword社刊、ISBN 1-844-15583-8
  Peter C. Smith氏著。ハードカバーでかなりの大冊。あの海戦で何が起こっていたのかを順序良く追っていく文字主体本。写真も少々。

(2009年5月22日 初出。完成画像は6月5日)



SEO対策 ショッピングカート レンタルサーバー /テキスト広告 アクセス解析 無料ホームページ ライブチャット ブログ