先の九九艦爆に続いて艦上機、今度は相手方のダグラスTBDデヴァステーターであります。模型的な面での課題は、1)昔日のモノグラム製キットである上に主翼の凸リブという難題をどうにかこなして完成に持っていくこと、2)米空母の飛行甲板を自作で仕立てること、3)例によってフィギュアもなんとかしよう、といったところで。んが、艱難辛苦が予想される(汗)その模型的課題に突入させる原因でありモチベーションであるのは、かのミッドウェイ海戦において壊滅した米雷撃機隊の中に、どうしても書いておきたい隊長氏がいたことなんですね。それも真っ先に全機壊滅、たった1名を除いて隊員ことごとくが戦死したホーネットのTorpedo Eight、VT-8隊のことを文章にしておきたい。日本側からみれば母艦に最大の被害を与えたSBDドーントレス急降下爆撃隊に眼が向いてしまいがちであり、それに先立つ雷撃隊の攻撃はさらっと流されてしまうことも多いわけで。実際、VT-8などは全15機のデヴァステーターが墜されたのは、雷撃運動を開始してからわずか5分の間の出来事ともいわれます。珊瑚海の戦訓もあって対空砲火の運用に改善のみられた日本空母部隊、そして依然として破壊力抜群のCAP零戦隊(TBD15機に対し零戦27機とのこと)による瞬時の惨劇。しかしなぜVT-8は援護もなく単独で日本空母@蒼龍を攻撃する事態に至ったのか、たとえばある書物にあるように戦爆雷混成で攻撃するはずが雷撃隊のみ「雲中に迷って進路を外れてしまった」結果、偶然の邂逅なのか、空前の機動部隊決戦を勝ち抜いたのは、単に米海軍側の運が良かったからなのか、あるいは日本側の指揮が拙かったからなのか、など少し考察してみたりというところ。

忘れないうちに模型の話をざっと。(^^;  キットはモノグラムの名作48。その凸モールドを活かすように、みえる部分で合わせをとって溶きパテ&拭い方式を多用、削らずに済ませる方針で。まずMk.13魚雷は実戦参加前の形なので、箱状の安定ヒレをスクリュウ周りに自作。この巨大なヒレは当初実戦での本タイプ魚雷がまったく安定性を欠き、まともにまっすぐ走らなかったためとかもあり(迷走と不発が多く出た潜水艦用を含め、一連の『使えない魚雷』事件の端っこ)。スクリュウ自体は別売りエッチングから。魚雷の胴体が金色にみえる(当時のカラー画像あり)のは、おそらく本来銀肌でオイルが塗られている?ため。機体のプロペラはハブ部が半分融けてるので(汗)、カウンターウエイトとともに作り直し。

問題の主翼凸部もできるだけ前面でうねを合わせてから溶きパテ処理。塗りの時にもハイライトをかまして調整(誤魔化しとも言う)。

主翼折畳み部にはロック機構や支持材等を追加、主脚収納部は筒抜けなんでエアウェーブのエッチングセットから持ってきて箱構造を接着、尾翼昇降舵は切り離してダウン位置に、アンテナ柱はカーボン材削りだしで置換、望遠鏡式射撃照準器は風防貫通部に大きな隙間があるので、風防をフューチャー処理して(瞬間でも曇らなくなる)「黒い瞬間」で隙間埋め。その風防内左側には棒状の組み合わせで雷撃照準器を追加、カウルフラップが「ちから弱い」のでプラ板で拡大(少し大きくし過ぎますた)。

操縦席キャノピー可動部はキット部品だと厚さで納まりが悪いので別売りスコードロンのものを使用、後席(TBDは雷撃時には前後2名搭乗。水平爆撃時は真ん中に3人目の爆撃手が搭乗。機首下面に開く爆撃照準窓は今回は接着固定)の機銃はこの時のVT-8隊機のみ、エンタープライズのSBD隊から予備部品をもらって連装&装甲銃座なのでハセガワのSBDから部品持ってきて手を加え銃身はバーリンデンのレジン(放熱孔がある)使用で設置、座席ベルトは板鉛にファインモールドのエッチングで金具を、デカールはテクモッド製でまさにウォルドロン機の指定あり、くいつき馴染み良好で主翼の凹凸もOK。塗りは全部(甲板やフィギュアも含めて)クレオスのラッカー系で毎度の多色調重ね塗り、実機カラー映像にある青味の強い姿を再現。と、いったところです。甲板は丸ごとプラ板から自作、フィギュアはキット付属のものとハセガワ製現用米空軍クルーセットとICM製WW2USAAFクルーセットから切った貼った接いだ削ったの果て。あー、しんど。orz

ちなみに他艦爆撃隊から融通してもらってまで搭載した連装機銃&装甲銃座(後にエース・坂井さんを傷つけるのがこのタイプの銃座)ですが、実戦では味方の対空砲火の中までも激しく突込んで執拗に迎撃を続け、「frenzy」と表現されたほどの機動性で迫る零戦に対しては、(雷撃行のデヴァステーターに関する限り)あまり効果的ではなかったようです。

さて。巷間、あの海戦では低空を迫る米雷撃機隊を迎撃するために、零戦隊が低空へ降りたがために上空がガラ空きとなり、そこへドーントレス急降下爆撃隊が現れて──といったようなお話になりがちなんですが、実際はどれほど単純じゃないんですな。というのは、攻撃隊を収容するには母艦を風にたてないといけない、上空直衛機を降ろすにも同様。そして攻撃隊を出すにも、直衛を上げるにも、いちいち飛行甲板をあけて風に立てないとならないわけで。当然、攻撃隊の収容/発艦と直衛戦闘機の発艦/収容を同時にはできないし、母艦が攻撃を受けている間は魚雷や爆弾をかわすための回避運動をとりますから、直進が必要な発着艦作業は不能になってしまうことも多々。直衛隊の零戦は、いまだ空中では非常に強力でしたが、燃料や弾薬が有限である以上、どこかで着艦させないとならない。それなのに、当日の米軍側は早朝からミッドウェイの陸軍機や海兵隊機がばらばらと、さらに米海軍攻撃隊もいろんな事情が重なって、五月雨式に次から次へと襲来する形になったんですね。それで日本側母艦は発着艦作業に非常な制限を受けるはめになっちゃった。その流れの中で主役の母艦攻撃隊としては最初に戦闘に入ったのが、ホーネットから飛び立ったVT-8@第8雷撃隊だったわけです。

総数15機のデヴァステーターは小隊ごとの2手にわかれて蒼龍を狙いましたが、実に5分間で1機も残さず全滅するという事態に。もちろん、日本側空母にも被害はでませんでした。そしてその後に、ヨークタウンやエンタープライズからの雷撃隊、そして急降下爆撃隊がそれぞれに微妙な時間差で次々に襲来して・・・となるわけです。ではなぜVT-8は戦闘機の護衛もなく単独で攻撃せざるをえなかったのか、その時ホーネットの戦闘機隊と急降下爆撃隊はなにをしていたのか??という疑問はでてきますわな。

当日6月4日(日本時間5日)の出撃前を見てみますと、発見した日本艦隊に一番近い位置にいたのがホーネットで。ヨークタウンとエンタープライズは少し遠かったこともあり、まずホーネットからの攻撃隊が出ることに。当時のCV-8艦長は後に大機動部隊を率いることになるミッチャーさんで、航空隊はR中佐という航空団司令がトップでありました。そして雷撃隊の隊長が今回のウォルドロン少佐。ウォルドロン少佐というひとは1900年8月の生まれですから当時既に41歳、それで少佐ということは、戦時ということも考慮すれば多少お茶をひいている組でしょうか。John Charls Waldron、彼はサウスダコタで野菜を育てるカトリックの家庭で5人兄妹の末っ子として生まれた由。母方にはオグララ・スー族の血が流れており、ジョン氏本人は痩身で顔つき鋭く、多少の苦学を経てのアカデミー在学時、すでに指揮能力には才能の片鱗あり、しかし砲術等はイマイチといったところ。ちなみに後のミッドウェイ海戦で焦点となる航法については、60点満点中43点とのこと(百点満点換算で72点くらい?)。巡洋艦シアトルで軍務をはじめ、まもなくペンサコラ航空学校へと。1年間でウイングマークを取得していて、ミッドウェイの時点で16年間程の飛行歴。その人物像を仮託するならば、「戦争がはじまったその時に、指揮下飛行隊の連中がまだ眠っている兵舎へと駆け込み、45口径のコルトを弾倉が空になるまでぶっぱなしながら『起きろ貴様ら、戦争に行くぞ!』と叫んだ」、あるいは援護もなく絶望的に不利な態勢での雷撃に際しても全く躊躇の気配さえ見せずに「Attack immediately!」との命令を下したなどの事例からして、荒っぽい時代のジョン・ウェインとでもすればよいでしょうか。

その手の行動をとる士官は、上層部のおぼえがけっして良くは無かろうというのも想像に難くないところで。ある意味で典型的な現場タイプ、実戦タイプの指揮官だったかと。そのウォルドロン少佐に、新鋭空母ホーネットの雷撃隊が任されたわけです。ところが予算の関係もあって、満足に魚雷発射訓練も行えないまま、隊は実戦に投入されていくのでした。

そんなウォルドロン少佐に対する航空団司令のR中佐は少佐より2歳若く、一説にはレーダーの熱心な推進者であったとも聞きます。こちらは対照的に頭脳派というか、どちらかといえば行動より思考のタイプだったらしく、この二人をしてそれぞれ「米海軍指揮官における両極端の典型」と評する向きもあるようです。で、こちらは海軍主計士官の家のご子息。やはり在学中から指揮能力に秀でる片鱗は垣間見せていたようですが、一面”lady's man”でもあったと。卒後は戦艦コロラドで軍務をはじめ(この辺で既に将来を約束されている印象)、偶然にもウォルドロンさんと同じ年にペンサコラで飛ぶことを学んでいたようです(その時点で互いに面識があったとも?)。その後は首都勤務やロンドン駐在武官補佐、あるいは英空母に派遣されてのレーダー運用の視察など、どうも出世コースに乗っていたようなことで。ところが、このR氏、ホーネット着任にあたり派手に『航空団司令』と書かせた急降下爆撃機SBC-4を着艦時にいきなり壊したらしい、さらにはメキシコ湾で航空団の訓練飛行中に機位を失ってしまい、仕方なく別の士官が全機を引っ張って母艦に連れ戻ったらしい、などなどあるようで(汗)。ひとによっては名作「Band of Brothers」に登場したソベル大尉との類似性を指摘されるかも知れません。必ずしも無能ではないんだけれど、どうも現場が向いてない、少なくとも実戦向きの士官では無かったんじゃ?という疑念。

そこで運命のミッドウェイ。敵艦隊発見の報に接し、攻撃隊がとるべきコースの決定にあたって航空団司令と雷撃隊隊長とで意見の対立が。その根本は、R中佐が発見時の日本艦隊がそのまま進むと仮定した北寄りの会敵コース、ウォルドロン少佐は発見されたと知った日本側が島への攻撃隊収容を急ぎ米艦隊への攻撃態勢を整えるために、艦隊進路をより島寄りにいったん変えただろうとの実戦的推論での南寄りコースという対照。双方譲らずで、ミッチャー艦長の裁定は航空団司令をたてる形で北寄りコースに決められたと。そこで戦闘機、急降下爆撃機、雷撃機の順で発進(エンタープライズなんかは速度のある戦闘機を最後に出して、先行する雷撃機なんかに追いつく形をとったようですが、ホーネットはその逆)。会敵位置に疑念を持ち続けつつ、いちばん後方で飛んでいたウォルドロン少佐は、ついに発艦後半時間ほどで「こんな方向に敵がいるものか!」とばかりに、自身が信じるポイントに向かう南寄りコースへの変更を宣言、雷撃隊だけが単独で実際に日本艦隊がいる方向へと進んでいきます。その前方には日本空母部隊と、わずか5分間での全滅が待っていたのでしたが。

では、敵が居もしない方向へ飛び続けたR中佐指揮の急降下爆撃隊と戦闘機隊はどうなったのか? もちろん敵はいませんから、いないものを探し回った揚げ句にやがて燃料が尽きてドーントレス隊の一部とワイルドキャット隊全機は海上へ不時着水、なんの戦果もあげずにホーネットから多くの攻撃力が失われてしまいましたというお話。このR中佐、後に空母サラトガ艦長等を経て閑職へ、当初は末は作戦部長や提督にと思われていた出世コースを遥かに外れて”tombstone promotion ”といわれる准将で1955年に退役、1963年死亡と。戦後も、ミッドウェイでの一大不始末を弁明しようと何度も試みて草稿を書き直し続け、最後の弁明原稿は彼の死後何年もたってからクローゼットの中で偶然見つかったともいいます。嗚呼。

結果的に米側の勝利に終った海戦の後、敢然と雷撃隊を率いて散ったウォルドロン少佐には海軍十字章が授与されました。んが、大失態を演じたR中佐@航空団司令にも同じ勲章が出てるんですな。そこらが軍隊という組織ゆえのことで。しかしながら、両名のうちどちらがその勲章に相応しかったかは、誰しも容易に判断できるでしょうというところ。

上の小さめ画像は、ケータイで撮ったのを少しいじったやつ。なんか雰囲気がよいので。ちなみに複数のデヴァステーター本にはウォルドロン少佐の写真が掲載されております。その出自を思わせる鋭い目鼻立ち、腰に下げた大きなサバイバルナイフとホルスター、強烈に意志の強さを感じさせるお姿ではあります。

(以下の小文は全くのフィクションです)

──しかしあなたも物好きな。こんな年寄りに何を訊こうってんです。中佐からの御紹介じゃぁ断れやしませんがね。なにぶんわたしゃ今までずっと黙ってたクチですんで、お手柔らかに。ああ、右の耳がちょいとあれなんで、できれば左側に座って下さいな。そのほうが話が、ね──

──ええ、空母にのってましたよ。いっとう最初は母艦じゃなくって、大陸のね、ええ、そうです。で、あれこれあってあの艦へ。真珠湾の時は機動部隊の上空警戒でしたから、わたしゃ見てないんだな、開戦の現場そのものは。次がR方面、これはラバウルですね。その後が印度洋で、セイロン島の上空でハリケーンとやりあいましたっけ。噴水みたいに弾を撃ってくるし結構手強かったです。敗けやしませんでしたがね、同僚には帰って来なかったのも出ちゃった。あの艦は艦隊の他の母艦に比べりゃ小さくて、こう、なんというか柳腰とでもいうか、少しっぱかり儚げでね。そのかわり乗員は搭乗員含めて他よりも結束が強かったんじゃないかな。艦長は──そう、あの方でしたから親分肌なところもあって、全体が一家みたいな──

──そして次があのミッドウェー。十七年の六月でしたね。ねぇ、あなた何か飲みますか? わたしゃ少しばかり飲ませていただくとしましょう。素面だとちょっとね。御免なさいよ。・・・さあ、これでよしと。六月の、五日でしたかなぁ。私、また艦隊直衛でして。はじめは島からの爆撃機や攻撃機ばかりでしたが、どうもどこかに敵艦隊が居るんじゃないか、空母が来てるんじゃないかって随分探し回ってたような気がしますね。で、見つけたんだけど島の方へ出すはずの二次攻撃隊が陸用の装備だったもので。ええ。そこら辺はもうさんざんっぱらご承知でしょ──

──そう。こっちが見つけてさっさと攻めてきゃよかったのにね、先手を取られちゃった。うちの母艦が真っ先に狙われましたよ。ところが連中、妙なことに雷撃機だけだったんだな。こっちはほら、いつも艦隊上空で戦闘機と爆撃機、攻撃機が編隊組んで一緒に行くでしょう? それがアメさんは雷撃機だけで来たんです。十数機でしたかね、二十は居なかったと思うんですが。こっちはその時、空に上がってるのだけで零戦が三十近くいましたから。ええ、全部落したと思います。母艦はどれも無傷でした──

──わたし個人の経験ですか? それがね・・・ずっとこの手の話は断ってきたんだ。それでも老い先短いですからね、いまあなたに話しておかないともう機会がないかもしれない。それじゃ聞いてもらいましょうか──

──雷撃ですから低空を来ます。それを最初にみつけたのは一航戦の零戦だったかな。胴体に赤帯巻いた機がバンクしてさーっと突込んで行きました。みると、うちの母艦が狙われてる。こりゃいけないってんで私らも突込んでね。どこかにグラマンがついてきてるんだろうと思ったんですが、幾ら見回してもいない。それじゃあと見れば、艦の両側にわかれて大きな翼のダグラスが、ちょっと見には悠々と言っていいくらいゆっくりと雷撃位置を目指してまして。まだだいぶ遠いところで、もう早速3機くらい喰ってましたな。なにしろこっちは数も多かったですし。これは行けるぞということで、私らの編隊は左側の隊を引っ張ってる長機らしいやつを狙ったんです。ところがこれが相当な手熟れでね、進路の軸そのものは少しもずらさないままで、横滑りでこっちの射撃をかわすんですよ。私らの側の艦攻よりずっと遅い速度で、重たい魚雷抱えたままの鈍そうな機体でそれを実に巧くやるんですわ。小隊三機が入れ替わりに撃っても撃っても絶妙のタイミングでかわす。ひょっとして相手の操縦士は戦闘機乗りの経験があるんじゃないかと思いました。しかも後席がばんばん撃って反撃してくる。カカンッ!って左主翼に二三発もらいましてね、かすっただけなんですがカッとなっちゃって。頭に血が上ってたんだかうっかりしてたんだか、その時まだ増槽も下げたまま空戦やってたんだな。で、お荷物捨てて一気に距離を詰めて、と思ったら母艦と駆逐艦が目茶苦茶に対空砲火を撃ちだして。もうかまっちゃいられませんから、とにかく目の前のこいつを落そう、なんとしても撃墜してやる、そう思って味方砲火の真っ只中を遮二無二に追いかけました。ところが味方砲火の炸裂で機体が揺れるもんだから余計に狙いが定まらなくなって──

──もちろん母艦も相手の射点をはずそうと蛇行しますし、駆逐艦も間に割り込もうとしたり煙幕展張したりしますがね、やっぱり飛行機のほうがずっと素早いですし時の勢いってのもある。今にも魚雷投下しそうな距離に迫ってましてね。ああ、これはいかんな、こいつに雷撃させちゃ絶対にまずい、外れようが無いくらい母艦に肉薄してる、そう思って撃った二十ミリがね、あたりました。もう全く余裕なんてありゃしません。相手の破片がバラバラッとこっちの機体にも、そのくらいの距離で。乗員が脱出する間もなくダグラスは海面に──ところがね、ところがですよ、わたしゃ大陸以来ずっとそつ無くやってきたつもりだったんですが、この肝心要な処でしくじっちゃった。そう、私はね、母艦直衛の任務を果たせなかったんですよ。だって破片と炎を振り撒きながら落ちていく敵機、微塵になる直前にその腹から金色の魚雷が離れて、白く泡立った海を真っすぐ母艦に向けて突っ走って行くのが見えたんだから──

──あの機の乗員、ありゃぁ見上げた奴等でしたね。護衛戦闘機も無しに、あんな遅い雷撃機であそこまで突込んで来た。アメリカ人にもこんなのがいたんだと初めて気付きました。こっちも増槽下げたまま迎撃戦闘に入るなんて、それまでどこかで連中をなめてたんでしょうけれどね。そんなのが全部一瞬の事で。もう私の機も悠長に離脱してる余裕なんて無かったですから、そのまま、まるで雷撃機みたいに母艦の直上をぶつかりそうなぎりぎりで飛び抜けました。対空銃座の連中がみんな吃驚して見てましたっけ。マストではためく信号旗の色が鮮やかで、それが視界の隅っこをかすめましたね。実際には見ませんでしたが、どうも艦長に思いきり睨まれた気がしてね。ああ、だめだった、自分の腕が拙いばっかりに母艦に魚雷が、一発だろうと機関室や推進器、舵でもやられたら──そう思って。ところが振り返ると魚雷命中の水柱は上がらないわ艦は全然速度も落ちず傾きもせずに勢いよく走ってるわ。なにがなんだかわからないんですが、とにかく敵の雷撃隊はもういなかった。全部落ちてましたね。はぁ、記録ではあれがたった五分間ですか。自分では何十分もかかったように感じてましたが、そう、ほんの五分間のことだったんですね──

──ずいぶん後になって、海戦に生き残った兵ばかり集められたところで聞いたんですが、やっぱりたしかにあの魚雷は命中したんです。あの手強いアメリカ人の魚雷は母艦の後部左舷に間違いなくあたったんだと。でもね、それが不発だったんですよ。ガンッ!とあたって爆発せず、そのまましばらく艦の白い航跡にピカピカ輝きながら浮いてたって話で。あれが走りだしたのが見えた時にね、わたしゃ自分で機体もろとも魚雷に突込んで止めてやろうとも思ったんです。でもそれをやるにはもう近すぎたんだな。下手すると艦の横ッ腹に自分が突っ込んじまいかねなくてね。結果的には艦に被害は無かった、けれども、あの日あの時、私は自分の任務を果たせなかったのも確かなんです──

──その後の迎撃戦闘で、右の耳を撃たれました。ええ、グラマンに。その時もこっちのほうが数が多かったんですが、ちらっとどの母艦だか火を吹くのが眼の隅っこに見えたんだな。それであっと思った途端に機体も尾翼を撃たれてて。駆逐艦に拾ってもらいましたがね、右耳があれなのはそれ以来なんです。それと、傷が治った後もどうも平衡感覚が鈍くなっちゃって、終戦の時は教育隊付で。とまあ、そんなお話です──

──ね、今までずっと話さなかったのが少しはお判りでしょう。いわゆる撃墜王のたぐいの武勇伝なんぞ皆無だし。それに、あの最初の雷撃阻止戦闘で、あの雷撃機を私が止められなかった、あの魚雷をとめることができなかった、もしあの機を私が止めていたら、まあへんな思い込みですがね、私がしくじりさえしなければあの海戦はあんなに大敗けしなかったんじゃないかって気がするんです。かいかぶりみたいですが、あれでこっちの憑きが落ちちゃったんじゃないかって、どうしてもその思いが、ずっと、ずっと抜けなくってね──

──この件を知ってる連中は、もうみんな先にいっちゃいましたね。母艦の戦闘詳報にも載ってなかったでしょ。だから、私の順番が来たら知ってるのはあなただけになっちゃうな。まあ、それはそれで。私なんざ、あっちへ行ったらあの時のダグラスを飛ばしてたアメリカの乗員と話ができるだろうって楽しみでね。あんたらの魚雷はちゃんと日本の空母に命中したんだ、あれほど不利な状況だったのに、あんた達は実に天晴れな、見事なサムライだったって言ってやらなきゃ。そうでしょう、ね?──

ミッドウェイ海戦というと、エンタープライズのSBD隊@赤城と加賀を襲ったマクラスキー隊のことがよく語られ絵や映像にも描かれてきましたが、仮にその瞬間米軍側に幸運があったとして、その幸運を呼び込んだのはその時点までに苦闘を繰り広げてた他隊の人々だと思うわけです。多少の注意力をもって流れを追っていくと、「あの瞬間」へ至る「過程」こそに幾人かの強力な意志の持ち主が浮かんできますな。今回はウォルドロン少佐機をやりましたが、他にも戦闘機隊と急降下爆撃隊でそれぞれ匹敵する指揮官がみえるので、できればミッドウェイ3部作としてまとめたい、まとまるといいなぁ、まとまるのかしら?といったようなことで。だってアナタ、単にあっちのほうが運が良かったから、あるいはこちらの指揮が御粗末だったから大敗したってんじゃなんだかイヤでしょ。あちらにかくも果敢な闘士達がいて、彼らの意志が我が方に勝ったんだってのが個人的には納得できますです。はい。

と、今回も御粗末様でした。m(_ _)m

<参考文献> 

1)THE UNKNOWN BATTLE OF MIDWAY;'05年、Alvin Kernan著、Yale University 出版部刊、ISBN 0-300-10989-X
  エール大学から出てますんで、趣味の本つーより史書の類かと。これにウォルドロンさんとVT-8のあれこれが詳細に。
  ハードカバーで文字主体、しかも大学書籍らしくちとクセのある言い回しと単語が多くて、もしかすると読みにくいかも(汗)。
2)太平洋戦争のデヴァステーター 部隊と戦歴 オスプレイ軍用機シリーズNo.41;'04年、バレット・ティルマン著、長町一雄訳、大日本絵画社刊、ISBN 4-499-22836-0
  お馴染みオスプレイの和訳シリーズ。デヴァステーターのあれこれを日本語でモノグラフ探すと本書が空前にして絶後なのでは?
  この本にVT-8機のカラー写真(動画からのキャプチャ)あり。魚雷の金色や主翼折畳み断面とホイールの上面色や、確認可能。
  TBDも珊瑚海ではちゃんと祥鳳に魚雷命中させてるんですがね。
3)DOUGLAS TBD-1 DEAVASTATOR  Naval FightersシリーズNo.71;'06年、Steve Ginter著、GINTER BOOKS社刊、ISBN 0-942612-71-X
  本機種の機体ハード面ならこれ1冊で。図面もあり、細部写真も豊富かつクリアでたいへん吉。
4) TBD DEAVASTATOR  in action 航空機シリーズNo.97;'89年、Squadron/signal publications刊、ISBN 0-89747-231-4
  ざっと眺めるに好適な写真と図の数々。合間に挟まれた細部イラストなんかもお役立ちの定番本、さすが。
5)SCALE AVIATION MODELLER Vol.11、Iss.9;'05年の9月号、SAM出版社刊
  今回使ったモノグラム1/48キットの製作記事あり。主翼折畳み部等の手を加えるべき個所が適切に示されていて分かりやすく大吉。
6)空母ヨークタウン  文庫版航空戦史シリーズNo.48;'84年、P.フランク/J.D.ハリントン著、谷浦英男訳、朝日ソノラマ社刊
  空母ヨークタウン(CV-5)の生涯。当然ながらミッドウェイ海戦の比重も大。
7)艦船模型スペシャル No.21  ミッドウェー海戦パート2;'06年、モデルアート社刊
  1/700艦船模型などを主体にミッドウェー海戦参加の米軍側各艦を紹介、飛行甲板等で参考に。アメリカ側からみた同海戦記事なども有用。

<ネット上の情報源>
1)http://www.centuryinter.net/midway/Carrier_Squadrons/Torpedo_Eight/in_color.html
 (親ページは http://www.centuryinter.net/midway/ )
 「Torpedo Eight - in Color」と題して、まさに第8雷撃隊のあれこれがカラーで紹介されております。YouTubeにもカラーの動画あり。
 また、英語版のWikipediaにはWaldoronさんの項目がかなり詳しく。なぜならば、見方によっては彼があのカスター将軍やアラモ砦の
 デビー・クロケットに匹敵する、アメリカを代表する武人/ヒーローのひとりだとの捉え方があるからで。そんな飛行機乗りを相手に闘ったと
 いう事実を、こちら日本側も知っておいて損は無いでしょう、むしろ知っておかねばという今回。

(2008年9月16日 初出)



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