WW2蛇の目機迷彩こぼれ話 〜Stealthの産声〜

そもそもはランカスターにみる下面の黒塗り、あれを発端にした迷宮探索。その間に迷路で拾い集めた幾つかのお話であります。一部に想定もまじえますので、真偽のほどは各自自己責任もご了承くださいませ。

およそ蛇の目迷彩の俯瞰、色を主体に流れを追ってるだけなので、具体的な色調についての記載や作例とは無縁、資料価値無し(汗)のページでございます。これまたご了承ください。

無駄に文が長いのも毎度の事(汗)、ご容赦。


*時に西暦1933年2月のこと。英航空省からRAE(Royal Aircraft Establishment)へ、軍用機の被視認性を低下させるべく研究を行えとの指示が発せられた由。まずは地上在機中および空中において、その上空から見て見えにくくせよとの趣旨。これがWW2における蛇の目的迷彩物語のプレリュードでありますね。

*そこでRAEの本拠ファーンボローの地を中心として開始された一連の動きの中、検討されるべき項目としてあげられたのは、 1)色調 2)複数色の組みあわせサイズ 3)その組みあわせ時のパターン・デザイン 4)識別(国籍)マークのタイプ 5)影の低減 6)光反射の防止  といったことでありました。順当。

*当時の欧州を主たる想定作戦地としての比較検討の結果、意外に素早く1934年1月からのテストには、既にお馴染みのダークグリーン/ダークアースの上面色が加わってた模様。この上面迷彩(やがて下面にスカイが選定)の場合は、地上から上空10.000フィートまでの空域を想定した迷彩。これが後々の変更に関わる部分。

*この1934年は12月になると、中東や海上での任務に相応しい迷彩についても研究指示が発せられます。さすがに欧州用の色そのままでは無理があろうというもので。さらに翌1935年10月からはじまったのが夜間用迷彩研究であります。これらの結果が部隊配備機に反映していくのは、1936年2月頃から(夜間用の色はかなり遅れた気配)。伊太利や独逸の動きがアビシニアに、オーストリアにと不穏さを増していく中で、来たるべきあらたないくさに備えつつ、じわじわ加速というところ。

*いわゆる「黒塗り」、英軍機における「Night」塗装の件;1935年10月、特に夜間作戦飛行中の飛行艇艇体下面を塗るのに相応しい色を模策して開発されたのが「Night」という塗装色。この色は一見すると「黒」ですが、実際はカーボンブラック+ウルトラマリン塗料の混色で作られているので、true blackでは無いのですね。極端に暗く濃いブルーグレイという見方もありますが、「青味を感じる黒」というのが妥当なところでしょうか。FS 595BカラーチャートではNo.27040が相当するようです。他の「黒」と比較すれば、確かに青の気配を感じる、そしてほんの少しだけ明るい色調。この色が下面塗りだけじゃなく、機体のレターやプロペラ塗装にも広く用いられることに。

参照; http://www.colorserver.net/showcolor.asp?fs=27040

*Night本来の目的は、探照灯や照明弾の光芒に捕まりにくくすること。この時期、英国は軍用機の速度と低視認性とで敵に捕捉されにくくする、言い換えれば当時におけるステルス性を重要視していたことの結果かと。夜間作戦専用機や「高速爆撃機」を模策してる時期でもありますね。採用にはなりませんでしたが、敵艦隊に夜通し触接する小型4発のFleet Shadower機も、部隊配備になってればほぼ間違いなくNight装束だったかと。無論、この色を塗られた機体は昼間の作戦行動では逆にめだっちゃうわけですが(汗)、そこは夜間任務を優先したわけで。なんとか欧州での大戦のはじまりである1939年秋に間に合う形で、爆撃航空団機へ普及。

*このNightは爆撃機だけじゃなく夜戦にも採用されております。というのも、当初の想定ですと夜戦は味方の上空で迎撃戦闘を行うんですが、接敵してる時に味方探照灯に間違って照らしだされちゃう、すると味方対空砲にばんばん撃たれる(汗)という事態が有りうると。これはいかにも拙いので、いっそ味方探照灯に対しても姿を消してしまえば安心という次第。

*さてそのナイト、おそらく半ツヤで導入。ところがここで対探照灯効果を極めようという動きが。さまざまな「黒」の近縁色が試され、例えばOptical blackとよばれる「黒」(双眼鏡内部などに塗られる光線吸収色)では可視光線の95%を吸収、これを改良して残り5%の反射も無くそうといった努力も。で、それら研究努力の末に導かれたのが”Special dead black”(すごい名前よなぁ)、さらに名称が転じてSpecial nightという色。これは完全ツヤ消しのナイトであります。これで例え敵地上空でも探照灯には捕まらずに済む!というところ。その導入は1940年末のこと。

*さて、スペシャルナイトは公式塗装規定の文中では「Special night (matt black)」という表記がなされ、これはどちらの色でも良いという並記じゃなく、ナイトという色名がまだ馴染んでなかったので?「いわゆるツヤ消し黒『のようなもの』だよ諸君」との注釈かと想像するのですが。だもんである時期において「matt black」とよばれた色は、真黒じゃなくナイトのことなんですね。資料によっては、ナイトの部分に「colloquially as matt black」、つまり口語/会話の中では「ツヤ消し黒と称んでいた」ともあります。(現場では勘違いのおそれ多分にあり?) 

*かくしてツヤが皆無で全面炭みたいな姿のモスキート夜戦なども登場したわけ。ところがアナタ、ラウンデルがツヤ消しじゃ無い(汗)。そこだけ反射しちゃうんですね。というのも、スペシャルナイト以外の塗料では、機体の高速化/低抵抗化を目指して、色素の粒子レベルで平滑化した新塗料(これらはType Sの表示を従来の色名につけて区別。smoothのS)が広く採用されており、ラウンデルもすでにそのType S塗料だったわけで。これも配慮され、ツヤ消し方向へ向かった模様。(黒いモスキート実機写真をごらんいただくと、中にはツヤ消しの主翼上でラウンデル表面だけが光ってる機体が確かにありまするよ。まるで模型のデカールがシルバリングしてるみたいな)

*注意。「S」だけだとType Sとは別の意味になりまして。これは「C」と対称になるもので、前者がSynthetic、後者がCelluloseと、塗料の出自というか本質を示す付記だと。ややこしいことで。ったく。

*ラウンデルといえば、大戦初期までみられたタイプですと白や黄の部分がかなり広くて赤や青も明るい色調のヤツ、これがまた実戦では探照灯を浴びると反射が強く「せっかく機体が闇にまぎれてるのに、ラウンデルだけがまるで夜空に電球を灯したみたいに光ってみえるじゃないか! 勘弁してくれよ〜(涙)」と声があがって、お馴染みの鈍い色調で白や黄の部分が狭いタイプに変更された由。

*さて、炭モスキートが飛ぶ頃、今度はデハヴィランド社からRAEへ問題提起が。「この甚だしく野暮、いや失礼、ツヤの無いスペシャルナイトをまとわせますとですね、我が俊足のモスキートがなんと!最高速域で26mph(当社比)もの速度低下を来すのですが?(陰険に片眉を上げる)」と。これに対するRAE技術部門の反撃は「ん? それってそっちの塗り方が下手なんじゃね?」とデ社の現場を訪問。「ほ〜ら、これ。こんな粗い仕上げじゃあ折角苦労して開発したスペシャルナイトが泣きますぜ。こりゃ上塗りじゃなく下塗りドープの段階からミスってるな。よろしい、こちらで塗装法を手取り足取り指導してさしあげませう。以後はキッチリ当方の指示に従うように。いいでちゅか〜、はっはっは」と。ドープの乾燥において、均等になってなかったために、上塗りまで影響を受けて平滑さが減じてた模様。

*ところがどっこい、今度は現場からも声が。「ん〜、このツヤ消し、速度落ちるのイヤなんすけど。それにツヤが多少あっても敵地上空で大勢に影響ないと思うし。私らは速度を優先してほしいってのが本音ですわ。そこんとこよろしく」というわけで、結局開発部門が苦心して送りだしたツヤ消しスペシャルナイトは、より平滑で半ツヤになるSmooth night(後、単にnightと呼称)にとってかわられたのでした。この経過ゆえ、公式規定書類でも42年末のものには「『スペシャルナイト』および『ツヤ消し黒』の記載を廃止。これを『ナイト』で置き換えるべし」と。よって、以後送りだされた数多くの機体たち、その下面や側面に塗られていたのは半ツヤ基調のナイトであったわけです。

*でも。先のスペシャルナイトを廃止、スムースナイトに置換する決定が下された1942年10月の時点で、既に塗料生産は進んでて、40.000gal(英1ガロン=4.546リットル。40.000gal=18万2千560リットル!)という実に大量のツヤ消し塗料が廃棄になった模様。ついでに専用のシンナーも20.000gal廃棄(汗)。この廃棄分が、物資欠乏の折りにはたしてそのまま素直に捨てられたかどうか。さてなぁ。

*少し戻って、完全ツヤ消し塗りに関しては、ブレニム部隊からも「え゛ええ〜?!」(意訳)の声があった模様。全木製のモスキートは特殊といえば特殊な仕上げの機種なんですが、高速民間機「ブリテン・ファースト」に源を発するこの「高速爆撃機」ブレニムも、機体表面の工作仕上が既存機よりもかなり丁寧だったらしく、微細なパネル段差等もきっちりチェックされてたんですな。「この『高速』機に、こんなガサガサのツヤ消し塗料を塗れと? 塗れと? 塗れというのかッきさk$31*&^%2ふじこ!!」。不評。考えてみれば、「どうぞ見つかりませんように。なむなむ」と飛んでる時よりも、すぐ背後に追撃受けて「もう2mphでも1mphでもいいから、とにかく少しでも速く飛んでくれよ!(泣)」な状況のほうがアドレナリン大量でしょうしねぇ。

*さらにもうひとつ、スペシャルナイトは維持が難しいんですね。せっかく「ご指導」により見事に均一のツヤ消し仕上にできても、ちょっとした摩擦や接触なんかですぐベルベット状の面が不整になっちゃう。これは現場としちゃあ勘弁してほしいでしょうなぁ。なんたって荒事が日常業務の軍用機なんですから。

*ここでちょいとばかり注意すべきは規定上、「全てナイト」であること。単純な「黒」は無いんですね。コードレターもナイト、プロペラもナイト、特徴的な機体下面の白/黒半分割の識別塗りもホントは白/ナイト。全部が「青味のある黒」であって、真っ黒じゃない、ましてや単純なツヤ消し黒ではなかったのです(でもツヤ消しだと余計にこのナイトは青味が薄れて真黒に近くみえるんですが…)。そしてこの「ナイト」は、軍需物資調達リスト上に記載される公式の色名として、少なくとも'60年代後半まではブラックと区別されて載ってた模様。(今もそのままな気配が?)

*スムースナイトあらためナイト(もうツヤ消しは廃止、半ツヤのみなので、ことさらスムースとつけずとも良い。ただし採用当初のナイトよりは粒子が細かい仕様、ひょっとすると半ツヤは半ツヤでも、当初よりややツヤのまさるものかとも思われ)、他国ではどうだったかと。英連邦、カナダとオーストラリアでは、RCAF/RAAFともに公式の色名に通常のブラックとは別に「Night black」なる色が。これがナイトにあたるんでしょうな(ともに現用規定まで残存?)。そして援英機も大量に送りだした米国ではどうかと言えば、こっちはどうやら普通の黒で代用した気配がありますねぇ。

*そもそも、英国に援助機を送りだそうというその初期において、見本として提示された蛇の目塗り迷彩(この時点ではツヤ消し)をみて、軍・民ともに驚いた(米国はまだ多岐に渡るツヤや色調まで深く突き詰めた軍用機色を用意してなかったらしい)とか。ちなみに、米軍がP-61夜戦等に使った「ジェット」という色、これも微妙に真黒じゃない黒系色ですが、その採用は英でのナイト採用から8年くらい後のことでありました。

*他国の例はわかりませんが、少なくとも英国では、ここまで書いてきたような規定変更にあたっては、常に何度も実地の飛行試験を行って比較検討をした上で正式化してる模様(上記米ジェットは明らかに念入りな実地試験やってますが)。様々な条件設定のもとで、科学的実験の手順をきちんと踏んでて実に熱心。まるで粋狂人が模型に塗る色を(略    でもRAE側が研究結果によって出した理想の塗色/迷彩も、現場の意向や生産合理化との兼ね合いで、いわば最大公約数としての結果がまとめられたようです。そりゃアナタ、折角の迷彩機にあの派手な白黒インベイジョンストライプを巻くという事態さえもあったわけですし。

*最大公約数と言えば、そもそも迷彩塗装ってのは地上から高空まで様々に変化する機体の背景によって、全てのステージで万能を発揮する色やパターンなんて無いわけで、その時、その戦局、その運用形態で最も必要とされるステージにおいて機体の被視認度を下げるためのものですね。すると当然、夜間用なら昼間が苦手、低空用なら高空はイマイチ、海上用なら陸地を背景にするとウボァーとなるのも理屈。これまた妥協が要る部分。さらに可視光線域だけじゃなく電磁波レベルまで行くと現用ステルスの世界。でもあの手のステルス現用機種の機体外表状態をステルス性能保持できるようメンテするって、たいへんでしょうなぁ。スペシャル・ナイトの比ではないはず。現代潜水艦の無反響タイル/コーティングも類縁でしょうが、それはさておき。

*さて、蛇の目迷彩、例えば戦闘航空団が濃緑/濃茶から濃緑/灰にかわったのは、主敵ドイツ空軍から英国本土をなんとか守りきって、主たる戦闘高度がより高くなったからという理由ゆえ、であるわけで。当初の想定が地上から10.000フィート、それがバトル・オヴ・ブリテンの山を越えた1940年10月頃、ドイツ双発爆撃機群を昼間の空から夜に追いやり、昼間では109や110の戦闘爆撃機タイプを主たる敵機として、25〜30.000フィートが空戦の舞台になってるんですね。するとダークアースを使った迷彩では暗すぎる、要変更という次第。この辺りは、その好敵手ドイツ軍機の迷彩変遷と合わせて見ていくと、相当に深く、また興味ある事実が出てきそうではあります。

*ドイツ側と比較すればどのくらいおもしろそうかというと、なんたって英側迷彩の変更検討時に、ドイツ機のあの特徴的なモットリングを試してるくらいですからして。スピットファイアに上面グレー系のモットル塗りで実地に検討してる!というあたり、AFDU(Air Fighting Development Unit)もなかなか。いやまあ、そのパターンが機体に似合うかどうかは置いといて・・・それは迷彩研究の課題にあらずかと(汗)。

*そのドイツ空軍機、夜戦の塗りをみますと、これは蛇の目機と同じく、当初は「黒」ではじまってやがて明るいグレー系主体に。これは双方とも同じ理由と思いますが、戦闘機ゆえに空中で機動するのが当たり前、敵機との位置関係が刻々と立体的に変化しますから、地上からの探照灯が一番の脅威となる爆撃機たちとは別の対処が必要なんですね。空中戦闘中の「背景」が変わりますから。概して、戦いの夜空は明るい部分があって(燃える地上や薄暮/黎明の空、月光の輝きに探照灯とその光芒を写す雲といった具合)、その背景に溶けて敵機から(地上からじゃなく)見えにくくしようというのが灰色系迷彩。これも、英国側はいちいちいろんな塗り色と塗りパターンを比較テスト、やれ明るすぎるだの、特殊過ぎるだのの散々スッタモンダした揚げ句に決定した模様。

*上記灰色系夜戦迷彩に関連して、モスキートのいわゆるイントルーダー任務機は腹が黒(ナイト)で上面濃緑/灰ですが、これも試験をされていて、全面ナイト機、濃緑/灰迷彩機、濃緑/濃茶(ダークアース)に腹黒機の3種を任務飛行に合致する飛行パターンを夜空で比較、実は濃緑/濃茶/腹黒機がもっとも迷彩効果があるという結果だったんですが、その時すでに夜戦タイプは濃緑/灰迷彩で量産が進んでいたわけで。ここで別パターンの塗装機をやるとなると、生産現場が混乱するかも、との配慮があったようで、結局、濃緑/灰の夜戦用塗りで腹をナイトにして妥協したらしく(爆撃航空団の重爆なんかは、ちゃんとその「効果の高い」濃緑/濃茶/ナイト迷彩になってますな)。でもってこのイントルーダー迷彩採用にあたっては、すでにナイトは半ツヤでしたがことさら「機体全体の塗装を可能なかぎりsmoothな仕上げにして速度性能を保つべし」との通達が。もしかして、smoothじゃないスペシャルナイトで懲りたスタッフが居たのかも?

*ちなみに、これらsmoothな仕上げにおいて、迷彩色の上にさらに透明ヴァーニッシュ、クリアがけで仕上げるといった手順は踏まれてない模様。迷彩色の塗料を塗りっぱなし、生肌であると。ここらは模型とは違いますな。あは。

*少し遡って、これも蛇の目の初歩で悩む色名、スカイ。スカイグレイやスカイブルーというのはまた全く別の色調ですが、広く用いられたスカイ=ダッグエッググリーンはあくまで欧州方面用。これを下面に塗ったブレニムで中東方面に出た部隊から、即座に「この下面色では当地の空の色には多少とも不似合いですな。おっほん。緑が強すぎるし、第一明るすぎる。これではかえって空で浮き出るようになって、簡単にみつかってしまうではないかなんとかしろこのこのこのガッ(略」という意見具申が来た模様。即(ホントに即)対応すべくRAEで比較検討がなされ(なんと計20色を比較)、検討開始からこれまたわずか20日ほどという記録的短期間で実地試験からなにから終えて、新色が採用に。これが後に広大な戦域で使用されたAzure blueの誕生でした。中東の空は、青く深かったのね。

*蛇の目で青といえばPRUブルー。この色、たしかに迷彩効果は高く、空に溶け込む灰味ブルー系(+わずかに緑の気配)。これは上記スカイと縁がありまして。PRU(Photo Reconnaissance Unit)の前身PDU(Photo Development Unit、戦前から。後に1940年7月からはPRU)で、最初に使った機材がブレニムで、これが遅いわ下面ナイトだわで不評(汗)。よってまずは地上から見上げて見えにくい下面色ということでなされた比較検討結果が、duck egg green、後のスカイを生むことに。

*ところが写真偵察機は次第次第に敵空域の奥深く、高高度侵入を行うようになります。すると、比較的低高度用のスカイは高空の暗めな空では浮いちゃうんですね。そこでまた比較検討の末に戦前からあったSky blueをベースに調整、採用されたのが「Cosmic」、後のPRUブルーということで(1941年10月)。1942年中には、機体下面のみならず全面がこのPRUブルーをまとった姿へと移行していきます。青い衣の翼たちは高空を翔けて危険な空域の奥深くへと。

*しかしその迷彩効果が高いゆえに?悲劇も起こったようで、迷彩が効きすぎて機体ラインが把握しにくかったんでしょうか、味方機に落されたPRモスキートが(涙)。その事件の後日談では、米軍編隊との遭遇時にモスキートはどうやら「太陽を背負って」いたらしく。またそんな逆光の中で、当該モッシーの機体コード「K」(たぶん白文字)が、ドイツ印(白縁タイプの十字?)にみえたらしいんですな。小型化されたダルな色調のラウンデルも、不幸な形で効果を発揮したんでしょうなぁ。

*さらにPRUブルー。大戦も終盤、この色に塗られた機体はPR=写真偵察機であるとの認識がドイツ側にも。するとごく一部を除いて、このブルーの機体は武装無しなんですな。そこにドイツも気付いちゃった。自分の腕に自信がなくったって、攻撃しても反撃される心配が無い(汗)。なにしろドイツ側は結構な高速機も持ってますし、低空へ舞い降りてる(あるいはレーダー回避の低空飛行パターン)機などが狙われた様子。無武装だからといいカモにされちゃかなわんわけで、蛇の目PR隊からは「低空侵入機ニツキ、早急ニ別迷彩モシクハ有効ナル対策ヲ検討/採用ノ必要アリトミトム」との声が出ていたらしく。が、ずるずると間もなく終戦。

*かくして十数年におよぶ英軍機迷彩の物語は、一応の結末を迎えるのでした。大戦終了後、ほんの数年を経て、シルバー仕上の機体達が帰って来ると同時に(戦後のSpeed silverって、もしかしてまた粒子レベルで進化させた塗料?)、蛇の目のラウンデルも再び明るい色調で大きく元の姿へと戦塵を落して行きます。そしてさらに年月を経て、かつて被視認度を下げるべく迷彩の研究が実に熱心に行われたRAEの本拠地、紆余曲折の末に「ナイト」色を生みだしたファーンボローの空で、その30年後になって、ひょっとしてナイトかと思われる黒衣に身を包んだブラック・アローズのハンター達が空前絶後の大編隊ループを演じたのも、なにがしかのいわく因縁を感じるところでありましょう。なぜってそのアクロ隊の隊長は、かつて少年の眼で大戦中にみた「黒い夜戦」の姿を自分たちのハンターにうつして塗色を決めたんですから──。

参考文献

1)RAF BOMBER COMMAND and its aircraft 1941〜1945;'02年版、J. Goulding & P. Moyes著、Ian Allan社刊、ISBN 0711007888 〜WW2期蛇の目爆撃機の俯瞰本。塗装についての記載も意外に(失礼)詳細。

2)de Havilland Mosquito Day nad Night Fighters in RAF service 1941 to 1945;'03年、Scale Aircraft Modelling社刊、ISBN 0953904091 〜実は今回の主なネタ本がこれ。(^^; よく調べられよく記載された良書かと。

3)The de Havilland Mosquito in RAF Photographic Reconnaissance and Bomber service 1941 to 1945;'02年、Scale Aircraft Modelling社刊、ISBN 0953904083  〜さらに同じ体裁のネタ本。

4)BRITISH AVIATION COLOURS OF WORLD WAR TWO:The official Camouflage, Colours, and Markings of RAF Aircraft, 1939-45;'86年版、Arms and Armour Press社刊、ISBN 0853682712 〜公式の塗粧規定を掲載、カラーチップも添付。そもそも「color」じゃなくちゃんと「colour」と「u」が入ってるのがキモ(違)。

他、いつもながらネット経由で先達、諸先輩にさんざんお世話になっております。拝。

(2006年10月記)



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