<Silver Delta in the Blue Sky>

<Mirage IIIC 第1部>   第2部、青い機体へ→


ミラージュ! その機体はまず、名前で印象に残るわけです。ネーミングとしては同じフランスの「シムーン」と並んで秀逸かとも思える、フランス語の「蜃気楼」。このデルタ翼をもつ粋なラインの機体に魅せられたのは、遠い少年の日の思い出。(ワタシにもそんな頃があったんですってば)  

↑再版にもなってるタミヤ1/100キットの箱絵の印象で。実はあの箱絵が遠い日の伏線だったような?(^◇^;) 今回、実はこのエデュアルドのキットは、六芒星で仕上げるつもりではじめましたが、やはり箱絵の印象が強くてマーキング段階で方針を変更、タミヤ1/100箱絵と同じ隊の機体に。ミラージュ、かくあるべし。

こーゆーのが、ミラージュにおけるワタシの心象風景なんですね。陽炎に揺らめく中、まだ低くエンジン音を響かせて飛び立つその時を待つ翼、闘う鳥の幻影、蜃気楼。心象風景を具体的に画像にできたってだけでも今回はやってヨカッタ、ですが。

この機体を送りだしたマルセル・ダッソー氏によれば、「Mirage」の名前は「どんな敵からの攻撃もかわせるように、砂漠の蜃気楼のようにつかまえられず、傷つかずにいられる機体」との想いで与えられたようです。少し考えてみると、これが実に興味深いかと。軍用機、それも国からの要求では迎撃機として仕立てられたであろうこの機種に、「どんな敵にも打ち勝つ」ではなく「どんな敵からも逃げられる」の方を選んでるんですね。かつて勇ましい名詞や形容詞などよりも、天象気象/花鳥風月を駆逐艦の名前にした日本人に似た感性でもありましょうか。しかし、さらに思いを巡らせれば、ダッソー氏は戦時中に侵攻してきたドイツ軍により、ブッヘンワルドの強制収容所に送られているわけで。技術者としての協力を断り続け、九死に一生を得て解放され、その後に戦後フランス航空界の重鎮となっている、と。そうすると、このMirageの名前には、ひょっとして深い意味合いが込められているんじゃないかしら。

或いは艱難辛苦の戦時収容所生活を経て、人間の愚かしさはイヤというほどに感じられたでしょう。──世界を巻き込んだ大戦争は終ったけれど、人間は戦いを永遠には放棄しない、また新たないくさがいくつも起るだろう。自らを守るちからを持たないなどは机上の空論、さらには仮にダッソー社の軍用機を売らないとしても、それは単に他の国、他の会社が、欲する者に兵器としての航空機を売るだけに過ぎない。ならば、むしろ私が作り上げたこのMirageを、どんな敵からも逃れて帰還しうる能力を持ったこの機体こそを、戦場に送りだしてやろうではないか──などと。並々ならぬ努力の末、遂にフランスの戦後航空界が他国の機体に追いついた、そのデルタ翼機に、世界に向けて飛び立つであろう機体を、「Mirage」と。売れるところへは節操なく売っちゃうとか、たぶんそんな辺りをさらに飛び越えた認識があったんじゃないかなぁ。もちろん、私の妄想ですがね。

仮に、そうだとすると、六芒星をまとったこの機種が、沈着冷静かつ綿密な作戦計画と果敢な実行力によりパーフェクトゲームを勝ちえた、あのいわばデビュー戦は、攻撃兵器としての側面が表出していて、見方によればとても皮肉だったのかもしれません。

第一次大戦で航空先進国、航空大国となったフランス、それが第二次大戦に至る間に周囲があまりの速度で進みすぎ、なんとかかろうじてついていく程度になってしまった。その状態を戦後、急速に追いつき追い越そう、ウーラガンを送りだし、ミステールを飛ばし、それでも、超音速機の段階まで来ても、やっぱりスーパーミステールとともに米国のスーパーセイバーも使わないとならない、まだ追いつかない、この次こそ、マッハ2級の次の機体こそはフランス航空技術を再び世界に知らしめる翼に、との強烈な意志もあったでしょうなぁ。米国製エンジンに出力で今一歩及ばない国産ATAR、しかしそれを機体設計で補いつつ、最高の性能をバランスして具現化したあたりなど、実にミラージュIIICは、我が零式艦戦の時代と国を越えた姉妹だったのかも。

胴体に「ATAR」の文字も入ってますが、これは「Atelier Technique Aeronautique Rickenbach」、すなわちリッケンバッハ航空技術製作所の略から。スイスのリッケンバッハに移っていた独逸BMW社のチームによる設計こそが、ミラージュの心臓だったわけで。ドイツ航空技術は米英やソ連邦にみならず、しっかりフランスにもその系譜を伝えているのでした。

さて、プロポーションの良いエレールと比較しちゃうとどうしても気になる部分が見えてしまう(見えなくていいのに)エデュアルド。脚と増槽パイロンに手を加え、キャノピーを開状態、さらに撮影角度を工夫すれば、見えなくていいものは見えなくなるわけですが。全くの個人的思いとしては(汗)、要するにキットとしては非常に繊細で緻密に設計された高品質のもの、でもミラージュ実機の縮小形代としては、わずかにあと一歩、そんな感じでしょうか。

ただここで言う「わずかにあと一歩」が問題で、見方によっては某Tミヤ・デフォルメと同じく、ひょっとすると実機より模型のほうが格好よくみえる部分もあるので、そこはそれ。実際、鋭さと勢いのある雰囲気では実機の上を行きます。さらに付け足せば、そんなこんなを、まだエレールのストックを複数抱えてるワタシが書いてるということに注意。(^◇^;)

どうです、この銀肌に赤い飾り塗り姿の鮮烈なこと!(眩暈) 大きめのフランス国籍マークやラダーの三色帯と相まって、もう瑕疵の感じられない素晴しさ。この隊の場合は、この姿でブルゴーニュの空を舞っていたわけですね。'65年のブルゴーニュ産赤ワインを賞味される機会があれば、そのワインはこのミラージュのATARエンジンの唸りと三角翼が風を切る音を聴いた葡萄で作られているわけで。きらめく機体に反射したフランスの陽光もグラスの中に封じ込められているのかも、です。

簡易とはいえ、インジェクションキットですから、多少仮組み、すり合わせを慎重にしてやればちゃんとできあがります。モールドは総じて鋭く、今回も使用した超音速用増槽なんか刺さりそう。(^^;

先に少し書いたイメージの違和感ですが、前脚は「く」の字型の緩衝部が開きすぎ、主脚はオレオ伸び過ぎで姿勢が高い。 機首が細め(よって脚が長いと余計にひょろっとみえる)。逆に胴体は気持ち太め。 超音速増槽はパイロンが上下方向に巾ありすぎ。もっと主翼下面に貼り付くような印象にしてやって吉。さらにこのパイロンの位置が、もう少し主翼の内側=胴体寄りが正しいようです。 キャノピー、風防と機首とのつながりがおかしいんですが、ちょっと修正不可な感じ。

デカールはエデュアルドの別売りを使用。馴染は良好。機体の塗装はいつものようにハイブリッドで上塗りはクレオスのスーパーメタリック各色を。今回はステンレス主体、アイアンとチタンで化粧、さらに光輝のアクセントでクロームシルバーをば。結構効きます。←実はちょいとやりすぎた(汗)

静岡で合同展示に並べさせていただいた時のプレートに載せて。機首が向かって左のほうが落ち着くんですが、右舷尾翼の「キメラ」(グリフォン)マークがどうにも格好いいので、それを拝借。暗調背景に「輝き」をイメージさせて、現物よりさらに光ってるよーな、そんな錯覚を狙おうという姑息な仕立て(笑)。

ダッソー・ミラージュIIIC、41号機;
1961年10月20日ロールアウト、同年12月5日、Mont-de-Marsanにてフランス空軍へ引き渡し。
所属変遷;EC 2/2 、8/2、 1/5、 2/5、 1/5、2/10 ここまでは銀肌、以後「防空ブルー」に。
1978年7月9日、1/10所属時に事故・損傷。81年7月15日まで修理。
(今回は'65年就役時付近の無塗装な機影を机上に再現。第2部の青い38号機とは、81年7月〜84年6月まで同じ2/10に所属)
その後2/10に所属、88年4月21日に解役。
就役中のコードレター; 2-FN 、5-NF、5-OK、5-NO、10-RA、10-SG、10-RT
現在はフランス国内で展示/保存中。生涯における総飛行時間は3857時間ちょうど。

(参考文献は第2部の後にまとめて)

第2部、青い機体へ→

(2005年5月9日初出)



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